2014年6月5日木曜日

公的な姿と私的な姿

 こんにちは、スタッフSです。
 突然ですが、ブログを読みにきて下さったあなたは、ごく親しい人にしか話せないことや、誰にも話せないことはありますか?話せないとまではいかなくても、公の場で積極的に話したいとは思えないことはありますか?無いわけないですね。僕はたくさんあります。

 特に他人から「なんであんな扱いをされなきゃいけないんだろう」って感じるような扱いを受けた経験とか、その時の自分の悔しさ・恥ずかしさについては、あまり大っぴらに話したくないですよね。

 さて、62日の稽古も長丁場で盛り沢山の内容でした。その中の一つで、登場人物が法廷という公的な場で振る舞う姿と、その背後にあるであろう素の側面との複層性を表現しようという試みが行われました。複層性ってなんでしょうか。たとえば、原告(同性婚の合法化を求めて裁判を起こした二組のカップル)を例にとると、裁判に勝つために弁護士と協力し公的な場でファイティングポーズを取っている面と、そもそもなぜこんな戦いをしなきゃいけないんだろうという私的な思いを抱えている面と、両方を持っているのではないかと思います。その複層性に注目してみると、彼らが差別的な振る舞いをされた時の経験や、婚姻関係がないばかりに恥ずかしい思いをした経験について法廷で語る時、その二つの層の間の緊張関係はどれほどのものなのかと考えさせられます。傷ついた経験と失った権利があるからこそ、公的な場でそれを取り戻そうと戦う気持ちが湧くのでしょうが、同時に、なんで皆に傷を晒すような戦いをしなくちゃいけないのか、なんで享受できて当たり前かもしれない権利のために苦労しなきゃいけないのかという正反対の気持ちも一方では存在しているかもしれません。

ここでは原告を例に書きましたが、他の登場人物も、そして現実の世界で生活している普段の僕たちも、職場や公的な集まりで見せている顔の奥に、いろんな思いを持っていますよね。そういう個々の人間の奥行きが垣間見える瞬間に、僕は日常生活でもフィクションでも感情をかき立てられます。

グダグダと書き連ねましたが、実際に劇では登場人物の複層性をどのように表現するのか。ここでは怪しげな画像を載せて、ほのめかすだけにしておきましょう。ぜひ、その目で確かめに劇場までいらして下さい。
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